JUGEMテーマ:日記・一般
平成元禄紙芝居「サムライブルー物語」が空しく幕を閉じた。
有名監督と興行演出、ブランドに守られた選手達は何を目指していたのだろう?
インターネット時代に感謝する。釣人、少年と相棒の三人組は TV観戦で応援した。
「チーム」と呼ばれる対人団体球技サッカーが、何時の頃からか?ライトを浴びた
単独選手中心に騒がれる風潮が出来上がってしまった。活字がシナリオライター
の如く物語を書き上げて行く。タイムリーに、花形役者が生まれ出た。花看板には
千両役者が添えられた。果たして、「チーム」団結は大丈夫だったのだろうか?
全てを賭けた最終予選。先制点を奪われた。岡崎の同点シュート後に、その歓びに
折り重なる日本選手達の姿が見られなかった事が気になった。念願の進出に賭けた
得点は、チーム切望の同点シュートであった筈だ。観ている者を熱く虜に曳き込む
チーム全員の祝福、熱き情念の爆発、チーム全体の明るさが伝わってはこなかった。
インタビューに素晴らしく受け答えする主役時代が始まろうとしているのだろうか?
メッセージが、動きではなく言葉で手短に渡されて来る。活字主体の表現が多い。
たとえ僅かでも、素朴な感動を求め、三人は応援を続けた。守備的でも攻撃的でも、
自分達のスタイルでも、そうでなくても、たとえ敗れてさえ良かった。深い処から
込み上げてくる上質の感動を待ち望んでいた。円陣を組んでスタートしたチームは、
勝敗に関わらず、円陣を組んで終わって欲しかった。それが、役者と選手の違いだ。
辛口批評と言われているが彼程日本サッカーを見守っている元選手はいないだろう。
学生時代に読売クラブでお会いした事がある。セルジオ越後氏の批評を紹介したい。
『自分たちがいかに井の中の蛙であったのか、みんなが気が付いたのではないかな。
この4年間の歩みを改めて考えれば、1分け2敗という結果はなるべくしてなった、
という印象だ。井の中の蛙状態になってしまったのは、選手だけの責任ではない。
いまや日本代表は純然たるサッカーの代表チームではなく、興行的、ビジネス的な
役割を大きく担わされている。選手は必要以上に持ち上げられ、弱い相手に対する
親善試合で虚構の代表チーム像が作られていく。コンサート会場のような代表戦の
雰囲気は、本当のサッカーを後押しするものだったかね ... 。
協会、メディア、スポンサー、ファン。それぞれが、日本代表というものを、
もう一度見直すべき時がきているということじゃないかな ... 。
この敗戦は、変わるチャンスなんだ。
本当に優勝を目標にするなら、そこまでにどれだけの距離があるのか、真摯に
見詰め、分析しなければならない。
コパ・アメリカに招待されたら、参加しなければならない。興行よりも強化を
第一に考えなければならない。負けたからこそ得られるものがある。ここで
変革することが、このブラジル W杯に出場した意味だ。』/セルジオ越後氏の談
サッカーは決して個人で勝てるものではない。チーム全体で相手攻撃を受け止める。
それが、攻撃の第一スタートだ。やがて、攻撃はチームのシュートで終わらせたい。
それが、守備の第一スタートだ。守備的でも攻撃的でも、相手を翻弄させる事だ。
素晴らしい新チーム再編を切望してエールを送る。生まれ変わってくれ!日本代表!