冬のスタート

JUGEMテーマ:日記・一般


冬のスタート

そういえば、もう 「冬」だった。少年は頬を赤く染め、白い息を吐いている。
まだ体内時計は帰国中だ。早い時間に床へもぐり込み、体が夜中に起きて来る。

深夜に作業机のスタンドを点けた。早く体を日常生活へと戻さねば ... 。時差調整に
一時が必要な年齢を迎えている。少年の勧め通り、寒気浴の街歩き。復活を試みる。
石の街が日本庭園の置石の様な錯覚を誘う。帰国した釣人は、祖国の街並みや
庭、川をいつもよりも注意深く眺めて来た。それは、魚が故郷の流れへ遡上して行く
過程を、ふと釣人の心に浮かばせた。まだまだ、「ハッチャコイテ」探究を進めねば
ならない。少年と共に、宿題の山積みが在る。「陽光にあたろう」と最速ギアへ入段。

 

雀のなみだ

JUGEMテーマ:日記・一般


雀のなみだ

短い一時帰国があっ という間に過ぎ去り、パリ自宅の生活へと戻った。
紅葉の山景がまだ残像に浮かぶ。飛行機は感覚を石の街へとトレースする。

関空から長野へ。長野→愛知→長野→東京→長野→東京→京都→関空→パリ。
雀のなみだの様に一瞬の時間が過ぎ去って行った。長野戸倉の宮川時計店には
昨年巣落ちした野鳥がすっかり店内狭しと飛び回っていた。別所「花屋」の
夜の渡り廊下には紅葉が降り、湯谷「合掌」は今年も元気に黒柿が実ったそうだ。
世田谷「勝光院」お地蔵さんは真っ赤なエプロンを取り換えて貰い、豪徳寺の
猫は一段と増えていた。八幡宮は晴れ着、七五三の笑顔。京都では仙洞御所、
修学院離宮の絶景庭園に目から鱗だった。嵐山は水害から復活し、相変わらず
観光客で賑わっていた。お気に入りの上七軒は紅色が艶っぽい。二十五日の
天神さんは見逃したが、残念は来年に残しておこう。今年も、同じ姿を見せて
流れてくれる故郷日本を、釣人は丁寧に見直した。「ありがとう」、暖かい別れへ。

 

留守番

JUGEMテーマ:日記・一般

留守番

少年へ伝言
一時帰国で日本へ行って来ます。和竿のお店にも足を運んで来ます。
寒波の訪れ、風邪に気をつけて下さい。帰り次第連絡します。 釣人拝
 

さようなら プラハ

JUGEMテーマ:日記・一般

さようなら プラハ

さようなら プラハ

さようなら プラハ

「 A bientot, Prague !! 」 それは、再会への約束。永別の「 Adieu 」 ではない。
短かい息抜きだったが、釣人、少年、相棒には、元気の湧く楽しい休養だった。

「さようなら」としか言えない別れだが、幸田 文さんの文面から引かせて頂く。

 小さいときから川を見ていた。水は流れたがって、とっとと走り下りていた。
 そのくせとまりたがりもして、たゆたい、渋り、淀(よど)み、
 でもまた流れていた。川には橋がかかっていた。
 人は橋が川の流れの上にかけられていることなど頓着(とんちゃく)なく
 平気で渡って行った。私もそうした。
 橋はなんでもない。 なんでもないけれど橋へかかると、
 なぜか心はいつも一瞬ためらって、川上川下、 この岸あの岸と眺めるのだ。
 水は流れるし、橋は通じるし、「流れる」とは題したけれど、
 橋手前のあの、ふとためらう心には強く惹(ひ)かれている。 /幸田 文「流れる」

彼女の著書「木」に感銘を受け、「流れる」へと読み継いだ。まだまだ読み熟せては
いないが、巻末「著者のことば」は珍しく一読で心に響いて来るものを感じ取れた。
少年には以前も紹介したが、流れを前に立ち止まった時、何回も読み直している。
時の流れは、人、ひと粒の生を、「運命の力」で押し流しながら、海へと帰還する。

まだ未熟な青年や若者達が、時に流され、其れにもまれながらも、互いに信じ合い、
溶け合った、そんな感傷を思い出させてくれた。以前この道を歩いた時の感覚は
流れ去るものだが、いつかまた、空を越え川上からやってくるものだろう。この次は
どんな話を聞かせてくれるだろうか?暫しのお別れ。春へ「A bientot, Prague !! 」

 

プラハ「ジョン・レノンの壁」

JUGEMテーマ:日記・一般

ジョン・レノンの壁

ジョン・レノンの壁

ジョン・レノンの壁

ジョン・レノンの壁

ジョン・レノンの壁

ジョン・レノンの壁

1980年 12月 08日、一発の凶弾がひとりの男(Love & Peace)を消し去った。
2003年 12月 11日、ヨーコ・オノはこの壁を訪れ、メッセージと YO を書き残す。

若者達がひとつの流れに惹かれ集まって行く。落書きだらけの壁にたどり着いた。
プラハには『ジョン・レノンの壁』と呼ばれる若者の集まる壁が今も残されている。

彼女が残したメッセージは『私たちのハートはひとつ、ジョン、愛してる。YO 』。 
時代を書き重ねたこの壁に、「YO」を探したが、もう何処にも見当たらなかった。
この壁は、流れる歴史の中で、数えきれない若者達に夢と希望を与えて来た壁だ。
壁は『ジョン・レノンの壁』と呼ばれた。釣人は相棒の助けを借りて少年に説いた。
80年 12月 08日、ジョン・レノン凶弾に斃れる。悲報がチェコ若者に届いたのは、
時差により 12月 09日だったらしい。其の日、ジョン・レノンを弔う若者一人が、
この壁にジョンの名と十字架を描いたそうだ。「ジョン・レノンの壁」の始まりだ。
以降、数々の希望や自由へのメッセージが、集まる若者達によって重ねられた。
この壁の歴史を知る為に、もう少し時代を遡ろう。何時ごろから始まったのか?
なぜこの壁だったのか?この壁と共に生き抜いた思いは?落書きの秘密を知ろう。
ここからは、相棒にバトンタッチ。少年は目を丸くして壁の秘密に聞き入っている。

壁の時代にもう一度戻ろう。60年代前半、ひとりの俳優 Jan Werich がこの壁の
すぐ近くに住んでいた。68年、チェコスロバキア共産党第一書記アレクサンドラ・
ドゥブチェクが革新的自由化政策を発表。芸術や文化にも表現の自由が開かれた。
「プラハの春」はこうして起こり、たった 4ヶ月で、国境越え介入した 60万に及ぶ
ソ連軍中心のワルシャワ条約機構軍により占領下に敷かれた。「チェコ事件」だ。
厳しい弾圧の再開、多くの俳優や芸術家、文化人達が国外亡命を選ぶ。そんな中、
当時の有名俳優であった Jen Werichも国外亡命を選んだ。一度亡命をしたものの、
弾圧を受けても祖国チェコへ戻る人生を決めた人だ。その人へ宛て、若者達が
賛辞を表し、この壁にメッセージや希望を書き始めたらしい。それが始まりだ。
この壁のメッセージは、最初は彼宛てに書き始められたものだった。書いては
政府警察に消され、消されてはまた書かれた。フランス大使館が近くにあった為、
警察も極端に厳しい規制が行えなかったとの話もある。同じくして、もう一人の
チェコ女性歌手マルタ・クビショヴァー/Marta Kubisova について知っておこう。

『マルタの祈り(Moblitba  pro Martu)』 で有名な女性シンガー。68年、彼女は
ジョン・レノン「Hey Jude」をチェコ語でカバー。この歌はチェコ共産主義時代、
弾圧へ反抗する人達にとって夢のシンボルであった。多くの知識人や文化人が
統制に従属してしまう中、彼女は、「歌」で戦う事を選んだシンガーだったのだ。
制圧下、彼等は地下放送局を作り、歌を流した。彼女は歌手を永久追放された。
歌えぬシンガーとなる。内職で生き抜いた彼女は、89年「ビロード革命」の広場で
再び「マルタの祈り」を歌った。20年に及ぶ長い冬だった。壁に込められた話だ。
相棒の説明を聞く釣人と少年の前で、若者が英語で「Hey Jude」を歌っていた。
壁は残され、誰でも自由に書き重ねられる。今、若者達は壁を背に自由を詠う。

話し終えた相棒は、少年の肩をトンと叩き、『ハートはひとつヨ』とウィンクした。
 

フラッシュバック・プラハ

JUGEMテーマ:日記・一般


フラッシュバック・プラハ

フラッシュバック・プラハ

国立オペラ座:1887年建立ネオロココ様式の演劇場。1992年から国立オペラ座。
映画「アマデュース」はプラハの街で撮影された。この劇場が映画にも使われた。

相棒の提案で国立オペラ座で夜を過ごす事となった。インフォーメーション場で
当日空き席券を入手。相棒は映画「アマデュース」を思い浮かべ、釣人と少年を
説得した。上演はオペラ「Rigoletto」。ヴィクトル・ユーゴ原作をヴェルディが
オペラ化したものだ。イタリア語で歌われ、チェコ語と英語の訳が舞台上に映る。
実は、釣人にはこの劇場に忘れられぬ思い出があった。上演開始を待ちながら、
釣人は、昔の思い出へトリップして行った。89年 11月 17日「ビロード革命」後、
翌春 90年に、釣人は初めてプラハを訪れた。撮影スタッフと共に道具箱を抱え、
この劇場のメイク室へ案内された。混乱の民主化後、さすがにオペラ座も動いて
いた頃だったのだろう。コマーシャル撮影にも協力を惜しまない当時の状況だ。
その頃チェコスロバキア航空機内では、サービスでボヘミアンクリスタルが皆に
配られていた。国を挙げ変換期を旅行者の外貨で乗り越えようとしていた時期だ。
釣人は懐かしい天井の中へ吸い込まれて行った。まだ若く未熟な青年が見えた。
東京の大学を中退してアメリカへ渡る。語学を学んだコミュニティーカレッジから
フランスへと飛び出した。語学から技術へ。パリの専門学校を卒業し、再び渡米。
海外で生き抜く為には、世界レベルの技術が必至。米国にて「Book 」を完成する。

若者は撮影美粧師となっていた。「Book」を持ち、再びパリへ。スタジオを回る。
フリーランス時代が始まる。仕事道具箱を抱え、駆け回った。パリ拠点の時代の
波が、若者を強く押し流して行く。流れは、欧州全域にも及んだ。北は北欧から
南はアフリカ、東欧までも撮影ロケが広がる頃だ。シュウ ウエムラ師との出合い、
その後、J.M.DUBOS師とも出合った。そんなに遠くない昔の話だ。時の流れの中、
未熟だった若者は釣人になって行く。少年にも話してない昔話が沢山残っていた。
相棒が膝を叩く。少年は初めての舞台に目を丸くしている。音楽が聞こえ始めた。
釣人は一瞬、風に、電車が走り去る音を聞いた。何故か懐かしい昔の電車だった。

 

プラハ 「北国の秋」

JUGEMテーマ:日記・一般

北国の秋

北国の秋

北国の秋

パリより東北東、高緯度のプラハは、一足早い初冬の気配を漂わせていた。
暖かい日でも、街人は薄手の防寒着を忘れない。空は低くなり、冬を迎える。

釣人、少年、相棒の三人組は、風にまかせて、のんびりと北の街を歩いた。
いい匂いがすれば立ち寄り、ウィンドーを覗いては芸術論に花咲かせていた。
三人は、「寅さん」休暇を満喫した。季節は北国の秋だ。パリより一足早い
黄色葉に、大陸の初冬が忍び寄っている。歩き回ると、お腹が、空いて来る。
相棒が嗅ぎ出し、少年が駆け寄った。薪火に美味しそうな焼肉が煙っている。
釣人は昨晩のビールに感動した。久しくビールから離れ、ワイン一筋だった。
プラハではビールを! との勧めに一口。麦の薫りを嗅いだ。あァ 旨い!!
合点の相棒も、今日は白ワインにと、空腹待ち。少年は飲みより食との宣誓。
橋で結ばれる城下町と旧市街とを行き交いながら、少年が、お腹を、鳴らした。
東欧の北の街、厳しい寒さが訪れる。さァ 食べよう!冬の薫り味わいながら。

 

calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< November 2013 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM