鱒川は閉まり、釣人に残された希望は止水の鱒池、管理釣り場となる。
管理釣り場用の季節毛鉤に巻心を込め、昂まる思いを空想の毛鉤に託す。
人間のコントロール下に置かれ、計画的に餌を与えられて育てられた鱒に
果たして自然界の水生・陸生の昆虫が食欲をそそるもので在るか?否か?
毛鉤釣りで議論尽きない話題だ。通常より早く成長を促し、人管理の鱒池に
放された管理養殖鱒。其のお蔭で川閉め期間中も其れは其れでお世話に
なる。シーズン中であっても、独特の楽しみ方も在る。釣人に関する情報を
過ぎる程に持ち合わす点からして油断大敵な好敵手とも言える。人工的に
環境を管理出来る管理釣り場ならでは、川閉め期間中でも年中毛鉤釣りが
許可されている。言い換えると、晩秋、初冬、真冬、晩冬、初春に合わせた
毛鉤に思いを託す事が出来る。始めに触れた通り、自然界の中で育たずに
成長した鱒は、果たして、自然の生き物を餌として自ら意識する選択眼を
何処まで有しているだろうか?答えは管理釣り場の鱒に聞いてみなければ
解らない事だろう。DNAに導かれ、管理釣り場の鱒も池に放されると同時に
様々なモノや池に棲む虫、落下した陸生昆虫などを餌と意識する様になる。
釣人が巻く毛鉤には本物の虫や生物を意識した毛鉤の他、全く自然界には
実在しない不可思議な毛鉤が在る。其れ等は、毛鉤を巻く人の生物体への
飽く無き観察と想像、空想から誕生する。其の幾つかは、必殺と呼ばれる
仕事ぶりを披露する。成果を得る巻き方、巻心は、各々自由だ。自家製の
毛鉤に季節感を添えると空想の楽しみが膨らむ。川では試す事の適わぬ
晩秋や冬期の虫を空想しながら ... 。秋はやはり秋虫だろうか?太い腿部は
否応に力強さを秘め、膨らんだ腹部をしっかり支えているだろう。曲を奏でる
立派な擦り羽根、磨き掛かった艶部、大きな顎、長い触角や複眼。秋には
面白い虫が水辺を徘徊する。正体不明の毛鉤にも季節は潜んでいる筈だ。
釣人と少年の前を、クレーンが強靭な足や揺れ動く触角の如く伸び上がった。