サンティアゴ・デ・クーバ 「らっ ぱ一筋」」

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大御所参上 

大御所、トランペッターの Mr.Paisan 氏 がカサ・デ・ラ・トローバへやって来た。
客の拍手に応え、ゆっくり会場中央へ。彼のトランペットが絶妙な音を添えた。

演奏会場の後ろ口で拍手が起こった。振り返ると、周囲の人達が次々に椅子を立ち上がる。ひとりの老人がトランペットを片手に入って来た。彼が中央へ歩きながら、らっ ぱを鳴らすと、強い拍手が会場全体に沸きあがり、楽団全員の顔が急に華やいだ。「彼の名前」を釣人と相棒は知らなかった。「Paisan だ!」、周りにはその人の名が響いた。らっ ぱ一筋を続けた男だ。自分を生き抜いた人の音色が身近で聴ける、喜一郎、キューバの音楽は凄いゾ!。


サンティアゴ・デ・クーバ 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』

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都のミュージック 

セスベデス広場の横道に音楽会館、カサ・デ・ラ・トローバ「Casa de la Trova」がある。
SALSA やSON、楽団演奏は 2階、1階脇のカフェではキューバ伝統音楽が歌われている。

人溜まりが出来ていた。名も知らないお店に近づくと、壁一面に時代のミュージシャン達の写真が貼り詰めてある。「ニューヨークのジャズ・クラブみたいな雰囲気ね」相棒は建物全体を見渡した。一階カフェバー脇にはホールがあり、階段が二階会場へと続いている。釣人は会館名を「Casa de la Trova 」と相棒に読み伝えた。「ちょっと待って、有名な音楽会館よ!」「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」( 1998年 Wim Wenders 監督/音楽ドキュメンタリー映画)のミュージシャンであるエレディア・オチョアやコンパイセグンドを輩出した音楽会館で有名とガイドブックに紹介されている。釣人は優しく魅力的な名女性歌手、オマーラ・ポルトゥオンドを思い出した。相棒先頭に二階へ上がる。楽団演奏でキューバ伝統音楽が歌われていた。喜一郎、此処で聞く音は、トリニダーの村で聞いた音と、何か、ひと味違って聞こえたんだ。驚くべきハイグレードだ。感覚に支えられた完成度、何処かアカデミックな香りがある演奏、大人ぽい良質の音声だった。相棒は期待通りの古典的伝統キューバ音楽を満喫、釣人は定番カクテル、モヒートの杯を並べた。音楽が、こんなにも人を優しく、幸せにしてくれるよ、国交断絶を乗り越えた、独、仏、米、玖(キューバ) 四国合作映画の息吹が伝わって来た。


サンティアゴ・デ・クーバ 「漁師の釣り」

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老漁師の釣り具

老漁師の釣り具 

村の漁師から「海の話」を聞かせて貰う。シンプルな道具、指先の感、一心同体である事。
老いた漁師は、海から魚を獲り、子供を育て、家族を守った。全てを海と共に過ごして来た。

地元の学校で英語を教えていると言う若者と知り合った。癖の少ない正確な英語を話す。「海とおなじ色をした瞳の老人、そんな漁師から海の話を聞かせて貰いたい」釣人の言葉に生真面目な若者は頬染め、膝を打った。自分は釣りはしないが、以前に同じ様な事を言ったイタリアの釣人を漁村へ案内して喜ばれた事があるそうだ。彼が知る限り、最もクーバらしい漁村であるらしい。そこで知り合った年老いた漁師は素足で仕事していた事、自分を覚えていてくれるだろう、「案内出来る」と言う。喜一郎、キューバ人は自国を「クーバ」と発音する。釣人には彼等の「クーバ」と言う響きが、心地良かった。離れた漁村だから車がないと ...  、若者の肩を叩き、「行って見よう」と言った。南国の漁村はジャングルの中にある。掘立小屋を思わせる最年長の漁師の小屋には、比較的新しい大きな冷蔵庫がポツンとひとつ在った。生活の道具なのだ。物が少なく、それだけが目立っている。老人はその若者を覚えており、深い笑顔で迎えてくれた。濃いコーヒーを沸かしてくれると、そして、少しずつ、海の話を聞かせてくれた。喜一郎、老人は、海錆から守る為、使い古した釣り針を油に浸して残していた。潮風のリズムに似る、老人のゆっくりとした静かな声が、心地良かった。案内を引き受けてくれた若者が真面目にスペイン語を英訳してくれるが、制するのに苦労したよ。釣りの話には通訳は要らないからネ。老人の使いこなした道具を前に、瞳の奥にその「海」を感じ取れた。


サンティアゴ・デ・クーバ 「コブレの聖母寺」

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コブレの聖母寺

コブレの聖母寺

コブレ

コ 

コブレの聖母寺:「Basilica y Santuario de la Virgen de la Caridad del Cobre」 。
「漁師の寺」には、嵐の海で祈る漁師を救ったと伝わる褐色の聖母像が安置されている。

宗教には自信がなく、飾られていた挿絵から想像してほしい。荒れ狂う海で祈った漁師は、降臨した褐色の聖母マリアの導きで救われたと言う。喜一郎、ヘミングゥエイ「老人と海」の一節に、この魚を釣り上げて持ち帰る事が叶ったら、コブレの聖母にきっとお参りすると言う箇所があるんだ。文面を抜粋して紹介するよ。< ... 「おれはあまり信心ぶかいほうじゃない」とかれはつぶやくようにいう、「でも、この魚をつかまえるためなら、『われらの父』と『アヴェ・マリア』のお祈りを十回ずつやってもいい。もしつかまえたら、コブレの聖母マリアにお詣り(おまいり)することを誓ってもいい。さあ誓ったぞ」老人は単調にぶつぶつと祈祷(きとう)をはじめた。はなはだしい疲労のため、ときどき文句が思いだせなくなる。それなら、自然に流れだしてくるように速くしゃべってみたらどうか、と思う。『われらの父』より『アヴェ・マリア』のほうがやさしそうだな、そんな気がする。 ... 新潮文庫 老人と海 ヘミングウェイ/福田恆存訳 より抜粋 > 。かねがね信仰は苦手な釣人だったが、信心は大切に持ち合わせているのだ。


サンティアゴ・デ・クーバへ

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サンテアゴ・デ・クーバ へ 

指針が定まり、行く先を感じる。まだ見ぬ土地へ、渡り鳥の様に走り続ける。
カマグェイから東南東、「Santiago de Cuba 」へ出発。早朝のバスが太陽を追う。

長距離バスは中国製だった。運転手はパイロットの様な制服を着ている。走行中の冷房が極端に強く、乗り合う旅行者は各自着込んで寒さを凌いでいる。皆、旅慣れた連中なのだ。釣人は少年に説明した。「ベトナムやタイの空港でも経験した事だが、気温の高い国では、冷房装置が強過ぎて微調節ままならず、夏服ではとても耐えられぬ寒さを経験をする事が意外に多い。旅時の注意点のひとつだよ」。釣人と相棒も慌てて持込みリュックから保温服を取り出し、重ね着した。昨晩の熟睡で頭は爽快に冴えている。温もりを取り戻すと、早朝の景色が気持ち良かった。これから向かう旧都サンティアゴ・デ・クーバが楽しみだ。ベトナムのサイゴンがそうであった様に、旧都が新首都より魅力を秘めている事は多いと思われる。喜一郎、僕は其処で漁師の聖母寺や漁村を訪れ、漁師から海の様々な話を聞いてみたい。相棒はレベルの高さで定評のキューバ音楽に期待している。朝日に向かって走って行くよ。


カマグェイ 「手作りの街」

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カマグェイ 「手造りの町」 

トリニダーからキューバ東端を目指してバス移動。中継地 Camaguey(カマグエイ)到着。
長距離バスは日 1、2本。ターミナル到着後、宿決め前に、出発切符の確保から始まる。
 
同じラテン語源を持つとは言え、地方の町では英語も余り通じなくなって来る。フランス語を交えながらのスペイン語疑き、七戦八苦するが、此処からは旅人の腕の見せ所だ。出発日のバス切符確保は重要。情報を入手出来なかった町では、現場の民宿案内人頼りにその日の宿を決めて旅を続ける。ガイドブックや情報から解放された旅も捨てたものではないヨ。手作りの旅でこそ感じ取れる、手作りの街を思える。革命以前、キューバの「街の骨格」は、歴史的に裕福だった外人に造り上げられた。革命後、多くが亡命で去ると、街が残された。国民の街となったが、苦しい経済封鎖が続き、物資少ない時代に修復工事を必要としながら骨格を残す屍となる。カマグェイには歴史地区と呼ばれる場所がある。「街の骨格」に、再び命を吹き込もうとする地区だ。喜一郎、キューバに来て以来感じた事がある。建築の内装に舞台道具の様な部分装飾がはめ込まれたり、騙し絵を思わせる建築見取り図の様な絵が多用されている事だ。新政権後、経済封鎖で物資が絶たれた。実現への架け橋だろうか?装飾にしては気の張った品格が感じられる。釣人は、キューバ人の心意気だと受け止めた。


トリニダー 「SALSA と SON」

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トリニダー 「SALSA と SON」 

村のおじさんも旅行者の手を引き、ステップを踏む。Son は Salsa より静かに動き出す。
キューバの音楽には何処か「土の匂い」がある。交じり合う祖国の香りがリズムを作り出す。

おじさんは作業で節くれだった掌で、旅行者の手を引いた。左手で彼女の右手を少し高めに支え、右手をそっと背に回す。大切な物を抱える様に、そして、静かな眼差しで動き始めた。釣人は踊りの上手な村の若者に聞いてみた。「どんなダンスが好きかい?」、「激しい Afro はシビれる。でも、やっぱり Salsa が楽しい。上手く踊れる大人になったら、 Son は、綺麗で暖かいかナ」。音楽に余り精通しない釣人には難しい答えであったが、目の前、おじさんが踊る Son の動きに、その意味、心底理解出来た様に思う。喜一郎、ソビエトで公開されないイタリア映画「甘い生活」を、キューバでは堂々と見せたそうだ。堀田さんは『カリブ海の大空のようにあけっぱなし』と記述し、フィデルは『革命は神経質なものではない』と語ったと言う。


トリニダー 「母と息子のサルサ」

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母と息子のサルサ 

母親がリズムで誘うと少年は腰を振った。左足を動かすと、男のサルサを踏み出した。
トリニダーの小さな村は毎晩、音楽とサルサで沸き上がる。教会脇の広場に料金はない。

飲みたい人は支払って飲み物を注文する。時たま回って来るミュージシャンにカンパの小銭が気持ちで渡される。金のある旅行者は CD を購入する。皆に負担を強いない解放された「村の踊り場」だ。楽しませてくれるミュージシャンの生活は収入面で大変だろうと想像する。自分の選んだ好きな職業として演奏を続けられるのは、たとえ少額とは言え、旅行者からの外貨収入(CDの会場売りなどで)が有るからと思われる。キューバは 2重通貨制度を採用している。住民が使っているキューバ人民ペソ(CUP)と通常旅行者が使うキューバ兌換ペソ(CUC)だ。同額24倍の換算差があるが、値段の安いキューバでは、通常旅行者 CUC でも決して高価格ではない。 CUC と比較 10分の1 以下の物価と言われる CUP、生活場での 外人紙幣は貴重だ。喜一郎、キューバのミュージシャンは、驚くべき水準の音楽を提供し、生活はフリー同然に生き抜いている。音楽を愛していなければ、生きては行けない状況だ。熱い音が伝わって来る。村人は毎晩サンダル履きで其々にステップを踏み、腰を振るんだ。


トリニダー 『未知との遭遇』

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トリニダー 「新しい扉」 

ハバナを発ち、キューバ東南部へバス移動する。目指すは、 Trinidad (トリニダー)村。
小さな村に予約可能 Hotel は少ない。殆どが、バスターミナルで待つ民宿案内人に従う。
 
辛うじてインターネットで押さえた民宿が頼りだが、事前情報は現場での確認以外には定かではない。旅は常に流動的な判断が不可欠となる。当てを外されたり、「渡る世間に鬼なし」だったり、細心の注意を謀り、悠々と行うべしだ。それでこそ、旅の一宿一飯は確保される。喜一郎、僕と相棒は聞いた事がない新鮮な音やリズム、見たことがない色彩や配色にこの村で遭遇した。それに似たモノとは十分過ぎる程、既に都会で顔合わせて来た。此処で聞き、感じたそれらは、確実に何か違っている。似て非なるものだ。言葉での説明は難しいが、「大量生産のパック入り冷凍品と釣り上げた生々しい鮮魚との違いだ」とでも、思ってくれ!後は、君の鋭敏な感性で想像してくれヨ。この小さな村での数日滞在が、今回の風に吹かれる旅の行く宛てに、重大な方向を定めてくれたんだ。もう、告白しなければならないだろう。喜一郎、僕達はこの村でキューバの音、リズム、ダンス、心意気、色彩に完全ノック・アウトを食らったんだ。相棒はサルサのリズムに首ったけとなり、釣人は男達誰でもが当たり前に自らリードする、この凄いダンスに完全に感服した。村の皆が「サルサ」達人、凄腕なのだ。


「老人と海」と船長

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「老人と海」と船長 

若い時分、文豪ヘミングウェイ「老人と海」と出会った。以降、何度も読み返えす本となった。
文豪の愛艇「ピラール号」はコヒマルに停められ、船長を常に勤めたのがグレゴリオさんだ。

二人は海でどんな会話を交わしたのだろう?ハバナ東にコヒマルと言う小さな漁村がある。「老人と海」の舞台になった場所だ。愛艇「ピラール号」も当時はこの港につながれていた。小説の漁村に登場する飲み屋は、現存する「La Terraza/ ラ・テラサ」。愛艇「ピラール号」の船長を常に勤めたのが「グレゴリオ」さんだ。彼はヘミングウェイが亡くなった後も、 2002年に 104歳の生涯を閉じる迄、毎日、「La Terraza」の店に通っていたそうだ。小説に登場する少年は、「La Terraza」の息子さんがモデルだったと言われている。文豪が語る海の話に、釣人はこの船長の眼差しを感じた。心に響く大好きな部分を抜粋して書き留めておく。

『 ... そのとき、小さな鳥が舟をめがけて北のほうから飛んできた。鳴禽類(めいきんるい)の一種だ。水面を低く飛んでいる。疲れているらしい、老人には一目でわかった。小鳥はともへ来てとまった。が、すぐ飛びたって老人の頭の上を旋回し、今度は綱にとまった、どうやらそこのほうが居ごこちが良さそうだ。「いくつだね?」老人は鳥にきいてみた、「旅行ははじめてかい?」小鳥は老人のほうを見ている。あまり疲れてしまたので、綱をたしかめるゆとりもないらしく、そのかぼそい足指で堅く綱を握りしめ、ゆらゆらと上下に揺れていた。「その綱は大丈夫だ」と老人は小鳥に向かっていった ... 。』
 

『 ... 老人はかつて夫婦づれのまかじき(マカジキ)の一匹を釣りあげたときのことを思いだした。餌を見つければ、雄はかならず雌に先にそれをくわせる。そのときかかったやつも、もちろん雌のほうだったが、めちゃくちゃにあばれまわり、恐怖のあまり死にものぐるいの戦いをいどんできた。そのためすぐへばってしまったが、そのあいだじゅう、雄は雌のそばを離れず、綱を横切ったり、雌と一緒に周囲の海面を旋回したりしていた。あまりそばによってくるので、綱を切ってしまいはしないかと、老人は心配した。なにしろその尾は大鎌そっくりだった。老人は雌のほうを魚鉤(やす)で引き寄せ、棍棒(こんぼう)でなぐりつけた。さらに、その剣(つるぎ)のように鋭いくちばしの、ぎざぎざしたところを鷲(わし)づかみにし、棍棒で脳天をつづけさまになぐりつけると、魚の体は見る見るうちに変色して、鏡の裏のような色になってしまった。それから少年の手を借りて舟に引きずりあげたのだが、そのあいだ、雄はかたときも小舟のそばを離れずにいる。すかさず、老人は綱をかたづけ、銛(もり)を手にした。すると雄はいきなり舷側近く跳ねあがって、雌の姿をたしかめるようなそぶりを見せたかと思うと、つぎの瞬間には、水中深く姿を没しさった。その翼のような胸(むな)びれが薄紫色の縞模様を見せて、大きくひろがるさまが老人の眼に残っている。きれいなやつだった、老人はそのときのことを思い出していた。あいつは最後まで逃げようとしなかったな。おれの出あった一番悲しい事件だ。あの子も悲しそうだった。おれたちは雌にあやまって、すぐばらしてしまったけ ... 。」 (新潮文庫 老人と海 ヘミングウェイ/福田恆存 訳  より抜粋)

喜一郎、相棒と連れ立ってコヒマルの「La Terraza」に行って来た。面影は変わっていたが、二人が船出した海を暫し眺め、釣人はダイキリを飲み、相棒はピニャコラーダを注文したよ。



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